世界文化遺産 荻町合掌造り集落世界遺産とは世界遺産という概念は、自然と文化を同じ枠の中で捉え両者を世界共通の意識のもとその普遍的価値を保護してくれることを目的として一九七二年の「世界遺産条約」の採択によって生まれました。
世界遺産ってどれくらいあるの?二〇〇一年十二月現在で締約国数一六七国にのぼり、文化遺産五五四件、自然遺産一四四件、複合遺産二三件、合計七二一件の遺産が登録されています。日本は一九九二年に一二五番目の締約国として仲間入りをしました。
なぜ荻町は世界文化遺産になったか?世界文化遺産に登録されるには定められた六つの登録基準のうち一つ以上満たすことが必要です。荻町の場合、合掌造り家屋の民家建築としての建築的価値が認められたこと、また、「それらがまとまって残りかつての農村景観を保持している」ということとなり、「白川郷・五箇山の合掌造り集落」として平成七年十二月に世界文化遺産登録されました。そして登録されている萩町集落の農村景観は萩町住民自らの手で保存され、後世への橋渡しをしています。
萩町集落の概要 保存運動の歴史自分たちの村は自分たちの手で・・・。昭和二〇年〜三〇年にかけ庄川流域の電源開発によるダム建設が次々と行われ、多くの集落が水没し合掌家屋は村外に転売されたり、引き取り先が見つからず焼却されたりして、大正十三年に村内三〇〇棟あった合掌住居が昭和三六年には一九一棟に激減し三〇%の合掌集落を失いました。集落の過疎化・解体化が急速に進むことで「自分たちの村(文化)がこのままでは消滅してしまう」という大きな不安が村民の間に渦巻きはじめました。
「守る会」の発足、そして世界遺産登録へ・・・この不安にいち早く気付き行動を始めたのが当時の荻町の若者達でした。青年団活動、郷土芸能振興、農業振興等若者たちの活動を通じ地区の連帯性が生まれ、戦後の新しい山村生活を切り開く原動力となりました。そして、昭和四六年十二月地域内の資源を「売らない」「貸さない」「壊さない」の三原則を掲げ「白川郷荻町集落の自然環境を守る会」が荻町区住民総意に基づき発足されたのです。以降この「守る会」を中心とした住民活動により荻町集落は保全され、合掌造りの減少にも歯止めがかかり、住民全員の力で荻町集落は守られてきました。
[標高]四九六m
[選定登録年月日]
伝統的建造物群保存地区選定 一九六七年(昭和五一年)九月四日
世界遺産「白川郷・五箇山の合掌集落」 一九九五年(平成七年)十二月九日
[選定面積]四五・六ha
[建造物の数]
合掌造り建造物・・・一一四棟(うち伝統的建造物指定物件一〇九棟)
非合掌造り建物・・・三二九棟(うち伝統的建造物指定物件八棟)
工作物・・・七件(鳥居、灯篭、石垣)
環境物件・・・(社業、樹木、水路等)
[人口・世帯数](平成一五年二月現在)
白川村 一九九九人 六〇八世帯
荻町 六〇八人 一四八世帯
合掌造りの構造合掌造りとは 「小屋内を積極的に利用するために、又首構造の切妻造り屋根とした茅葺屋根」
一般的な定義ではこのように言われています。
合掌造りは繭製造工場合掌造りが日本の一般的な民家と大きく違うところは、屋根裏(小屋内)を積極的に作業場として利用しているというところです。幕末から昭和初期にかけて白川村では養蚕業が村の人々を支える基盤産業でした。屋根裏の大空間を有効活用するため小屋内を二〜四層に分け、蚕の飼育場として使用していました。上蔟(蚕が繭になる時期)の頃になると蚕が大きくなるため二〜四層も使い小屋内のすべての空間を使用していました。いわば「繭製造工場」として積極的に小屋空間を活用していたのです。
切妻茅葺屋根もうひとつの特徴は又首構造の切妻茅葺屋根という屋根の形態です。日本の茅葺民家の屋根形態は入母屋造りか寄棟造りが一般的ですが、合掌造りは茅葺でありながら切妻造りです。この形にはやはり養蚕が大きく関わっており、妻の開口部で風と光を取り込むことで蚕の飼育に適した環境が作り出されています。生活の機能が直接ダイナッミックな家の形となっているところに合掌造りの美しさを感じとることができます。
「結」による屋根の葺き替え白川村の春は屋根の葺き替えと共にやってきます。秋に刈り取った茅(ススキ)で広大な屋根面を葺きあげます。昔は四〇〜五〇年に一度葺き替えられていましたが現在では「イロリを使わない」、「材料の変化」等により二五年〜三五年に一度のペースで葺き替えられています。
葺き替え作業は村民総出の「結」によって行われ、一〇〇〜二〇〇人の村民によって一日で葺き替えられ、あっという間に葺きあがります。毎年二〜三軒は屋根の葺き替えが行われるため、そいいった機会に屋根葺きの技術を習得することで次の世代へと伝統技術が引き継がれてきました。
屋根の材料は?現在はススキで葺いていますが、昔はカリヤスで葺いていました。カリヤスはススキよりも茎が細く中がストローのように空洞になっており、非常に水はけの良い材料で屋根材としてはカリヤスのほうが長持ちしました。しかし、ススキに比べデリケートで茅場の管理に手間がかかるため最近は手に入れやすいススキの方が主流になっています。茅は白川村の茅場から刈り取って使いますが不足分は近隣の村や、県外からも調達しています。
屋根は村民、軸組みは大工さんの手で・・・合掌造りは一階の軸組部分を大工が建て、軸組に乗る屋根の部分は村人総出の「結」により作られます。白川村御母衣の上洞集落から岐阜県下呂町に移築された国重要文化財大戸家(一八三三年建築)の棟札には加賀藩前田氏の御抱え大工である能登の「大窪大工」の名前が記されており、白川村に優れた建築技術が持ち込まれたことが伺えます。
大切な結束材「ネソ」ヤナカ(母屋)とクダリ(垂木)はマンサクと呼ばれる中低木の生木で結束されます。これをネソと呼んでいます。ネソは粘り気の強い繊維質の木で使う前にねって、結束部になる真ん中をカケヤで叩いて柔らかくしてから使います。生木のまま使われたネソは乾燥するとギュッと締まり屋根の下地を強固にします。こういった植物材料で結束することで合掌屋根は柔軟な構造となり強風などの強い力を柔らかく逃しています。
屋根と軸部は分かれている?合掌造りの小屋根は合掌材とウスバリ(又首台)の三角形によって構成されこの太い合掌材によって広い屋根空間が確保されています。合掌材は下端を細く削り(コマジリと呼ぶ)又首台に開けた穴に差し込み外側に滑りださないようにその外側にダボを打ち込んでとめているだけで、小屋組は構造的には一階の軸部と分離しています。そのため強風などの強い屋根にかかるとコマジリの部分が動いて力を逃し、軸部に負担がかからないような合理的な構造になっています。軸部と小屋組みが構造的にわかれているということも合掌造りの特徴の一つです。
最初の共同作業石場カチ白川では礎石を据え付けることを「石場カチ」といいます。合掌造りの軸部を載せる大事な基礎となる石をうつのに櫓を組み大勢で綱を引き、撞木で石場を打ち付けます。石場カチは昭和三十年代まで行われ、石場カチ唄に合わせ調子をとり、全員の力を撞木の先端に集中させ石を大地に打ち込みました。合掌造りを誕生させる一番の大切な共同作業です。